お盆に便乗
いつもお立ち寄り頂き、ありがとうございます。
お盆らしいお話を続けます。霊のお話。お盆じゃなくても語るけど(笑)
今まで、何人も、何十人もの視える方のお話しを聞いてきたのですが、あちらの世界も色々みたいです。肉体が無いだけで、人間界と同じです。結局はその人、その霊の考え方、発想の仕方次第、というところ。
私は、人が死んで魂だけになった時、誰かがお迎えにきてくれるとか、誰かがその後の手順を説明してくれるとか、死ぬと同時に”オリエンテーション会場”的な所に、自動で行けるのだと思っていましたが、どうやら、どこからも連絡は来ず、死んだ事を誰も教えてくれないようです。なので自分が死んだのか生きているのか区別がつかない模様。
やっかですね^^;
自分が死んだ事に気づかず、家の人や近所の人に話しかけたら無視された、という状況を目の当たりにして、初めて自分が<死んだ>という事を自覚できるようです。ここで自覚できず、意固地になっていると浮遊霊の確率がアップ。あの世に行けない確率がアップするとの事。生前から、現状把握ができない、変化に対応できない、自分の環境が変化した事を受け入れられないという性質だと、この時点で【あの世】が遠くなります。
あの世に行く期限は、やっぱり49日くらいという話が多いです。仏教では49日、神道では50日祭として区切りをつけているので、単なる”しきたり”ではなく、実際に”この世とのお別れの日”の目安のようです。
49日であの世に行けなければ、ずーっとこの世に”霊”として彷徨う、と言う人もいれば、彷徨っていても供養する事であの世に行ける、とおっしゃる方もいます。どちらが本当か?などど議論はできませんが、私はどちらも有りなんだろうな、と思います。やっぱりそこは、本人、本霊(?)の考え方次第。システムとして、あの世への扉が閉まっているとは考えにくいので、やっぱり本人の思いだろうと考えます。この世に未練、執着があればとどまるだろうし、そういうものがさっぱり無くなった時点で旅立って行けるのでしょう。
ただ、49日に上がれなかった霊は、上がりたくなかった、と考えられます。霊になると人間関係がなくなり、そこでの刺激が受けられません。つまり発想や行動が変わる、という成長や変化が起こりません。ですから<上がりたくない>という発想のまま、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと月日が経ってしまいます。ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと月日が経ってしまうと、毎日自分で<上がりたくない>と自己暗示をかけている訳ですから、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとそのまんまです。
話す相手もおらず、上がりたくない、という思考の中にのめり込んでしまったら…ず〜〜〜〜〜っとそこにうずくまっている、というのもわかる気がします。
たまに、誰かが見つけて声をかけてくれる事もあると思いますが、その時はすでに考えが凝り固まっています。なので誰の話も寄せ付けない。そういう霊が天に上がれる感じがしませんね。だから、49日過ぎて上がれなかった霊はずーっと上がれない、というのもわかる気がします。
この世は修行の場です。何の修行か?と言えば<変化を受け入れる>という修行です。安定が崩れた時が変化です。その変化にどう対応するか?変化した事を嘆く?それは、それ以前の”安定した生活”への執着です。それを手放して、まずは変化を受け入れる。そしてその変化をどう活かすか?その中で、自分はどう楽しく過ごすか?この気持ちを強化する修行をするのがこの世。それを何度か経験して、自分の気持を前向きに持つ事で、死後の世界の身の振り方も変わってきます。
生前から、死んだらどうなる、という知識を身に着けておけば、いざその時、迷う事もないでしょう。自分の気持の整理の仕方もわかるでしょう。
なんせ、ガイドが居ないらしいので自分でなんとかするしかない(笑)
お迎えがくる、という証言もありますが、それもその人の生前の生き方が反映すると思いませんか?<迎えに行きたい>と先に亡くなった方が思ってくれないと、迎えにはきてくれません。ガイド料払ってなんとかなるものでも無さそうですし(笑)
生きる事を考えるのも大事ですが、死ぬ事を先に考えると自ずと行き方も決まってきそうですよね。
お盆らしいお話を続けます。霊のお話。お盆じゃなくても語るけど(笑)
今まで、何人も、何十人もの視える方のお話しを聞いてきたのですが、あちらの世界も色々みたいです。肉体が無いだけで、人間界と同じです。結局はその人、その霊の考え方、発想の仕方次第、というところ。
私は、人が死んで魂だけになった時、誰かがお迎えにきてくれるとか、誰かがその後の手順を説明してくれるとか、死ぬと同時に”オリエンテーション会場”的な所に、自動で行けるのだと思っていましたが、どうやら、どこからも連絡は来ず、死んだ事を誰も教えてくれないようです。なので自分が死んだのか生きているのか区別がつかない模様。
やっかですね^^;
自分が死んだ事に気づかず、家の人や近所の人に話しかけたら無視された、という状況を目の当たりにして、初めて自分が<死んだ>という事を自覚できるようです。ここで自覚できず、意固地になっていると浮遊霊の確率がアップ。あの世に行けない確率がアップするとの事。生前から、現状把握ができない、変化に対応できない、自分の環境が変化した事を受け入れられないという性質だと、この時点で【あの世】が遠くなります。
あの世に行く期限は、やっぱり49日くらいという話が多いです。仏教では49日、神道では50日祭として区切りをつけているので、単なる”しきたり”ではなく、実際に”この世とのお別れの日”の目安のようです。
49日であの世に行けなければ、ずーっとこの世に”霊”として彷徨う、と言う人もいれば、彷徨っていても供養する事であの世に行ける、とおっしゃる方もいます。どちらが本当か?などど議論はできませんが、私はどちらも有りなんだろうな、と思います。やっぱりそこは、本人、本霊(?)の考え方次第。システムとして、あの世への扉が閉まっているとは考えにくいので、やっぱり本人の思いだろうと考えます。この世に未練、執着があればとどまるだろうし、そういうものがさっぱり無くなった時点で旅立って行けるのでしょう。
ただ、49日に上がれなかった霊は、上がりたくなかった、と考えられます。霊になると人間関係がなくなり、そこでの刺激が受けられません。つまり発想や行動が変わる、という成長や変化が起こりません。ですから<上がりたくない>という発想のまま、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと月日が経ってしまいます。ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと月日が経ってしまうと、毎日自分で<上がりたくない>と自己暗示をかけている訳ですから、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとそのまんまです。
話す相手もおらず、上がりたくない、という思考の中にのめり込んでしまったら…ず〜〜〜〜〜っとそこにうずくまっている、というのもわかる気がします。
たまに、誰かが見つけて声をかけてくれる事もあると思いますが、その時はすでに考えが凝り固まっています。なので誰の話も寄せ付けない。そういう霊が天に上がれる感じがしませんね。だから、49日過ぎて上がれなかった霊はずーっと上がれない、というのもわかる気がします。
この世は修行の場です。何の修行か?と言えば<変化を受け入れる>という修行です。安定が崩れた時が変化です。その変化にどう対応するか?変化した事を嘆く?それは、それ以前の”安定した生活”への執着です。それを手放して、まずは変化を受け入れる。そしてその変化をどう活かすか?その中で、自分はどう楽しく過ごすか?この気持ちを強化する修行をするのがこの世。それを何度か経験して、自分の気持を前向きに持つ事で、死後の世界の身の振り方も変わってきます。
生前から、死んだらどうなる、という知識を身に着けておけば、いざその時、迷う事もないでしょう。自分の気持の整理の仕方もわかるでしょう。
なんせ、ガイドが居ないらしいので自分でなんとかするしかない(笑)
お迎えがくる、という証言もありますが、それもその人の生前の生き方が反映すると思いませんか?<迎えに行きたい>と先に亡くなった方が思ってくれないと、迎えにはきてくれません。ガイド料払ってなんとかなるものでも無さそうですし(笑)
生きる事を考えるのも大事ですが、死ぬ事を先に考えると自ずと行き方も決まってきそうですよね。
もしこのまま、私が外出先で事故死でもしたら・・・ヤバイ!と慌てて部屋の整理整頓を始める事があります^^;
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運命学を味方につけて魅力を活かす。
運命学は生年月日から観る東洋の占術です。
自分の性質をより良く知る事ができます。
自分の性質をより良く知れば、自分を
機嫌よく活用できるようになります。
★魅力を引き出せます。
★強みを活かせます。
★人生が快適になっていきます。
更に、運氣運勢を知る事で人生の波を
無理なく活用できるようになります。
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使命星を知ると、人生の満足度が上がる
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